売上げ8割ダウン、2億の負債から再建した話 ~新型コロナウィルスの影響を受けている人へ~
2020年6月01日
コロナショックで思い描いてきた経営ができなくなり、苦しい局面に立っている経営者さんは少なくないかと思います。そこで本記事では、過去に事業再生を経験してきた毛利京申(筆者)が、どのように経営の困難を乗り越えてきたかをお話しします。
コロナショックと私のケースでは状況が大きく違いますが、「“あきらめない気持ち“が、経営を継続させる大切な要素のひとつ」だということは共通しているかと思います。その点を中心に、お伝えできれば幸いです。
オープン直後の焼肉屋の売上げが8割ダウンするまでの経緯
私が焼肉屋を3月にオープンした半年後の2001年9月10日、予想だにしない事件がおきました。
狂牛病――正式には「牛海綿状脳症」という、脳がスポンジ状になり次第に歩行困難となりやがて死に至るという病気が、北海道の乳牛からで発見されたのです。このニュースはマスコミで大きく取り上げられ、社会問題となりました。
その後、毎日狂牛病に罹ったイギリスの牛の動画が朝から晩まで各局一斉に報道されるようになり、焼肉店の売上がみるみる減っていきました。9月の売上は4割ダウン、10月に入ると8割ダウンとなり、次第に、脳に障害を持つ人がこの狂牛病に罹った牛を食べてそうなったかの如くニュースがエスカレート。
11月に入ると売上は1~2割となり、私の焼肉店は12月6日に閉店することにしました。
私が返済のために行った、融資の活用方法
●焼肉店の債務と債務整理のための交渉
閉店にともない、当社が負った債務は以下のとおりです。
この債務整理をするために個別に以下のような交渉を重ねました。
●牛海綿状脳症対策資金の利用
また、2001年10月下旬、政府は、過去の売上から算出した金額を融資することを決定しました。そのため、当社は国民生活金融公庫から1000万円、名古屋市小規模事業金融公社から800万融資を受けました。しかしこれでは営業を継続できません。そこで、すぐにメインバンクに保証協会に代弁してほしいと返答しました。何故なら協会は元金充当だからです。国民生活金融公庫の返済については、1年間棚上げ後、10年から15年に引き伸ばし、月の返済金額を低くしてもらいました。
●融資を受けた1800万円の使い途
融資を受けたお金の半分は、新規ラーメン店の開店資金に使い、12月に2号店をオープンしました。そして、翌2002年4月には、あんかけパスタ店をオープンさせ、これをFC展開とパスタソースのレトルト販売、パワーランチと称してテイクアウトを始めるに至りました。
これら売上をすべて返済財源と活用し、私は事業再生をしました。
あきらめないことも経営の心得の一つ
辛い局面で物事をポジティブに考えるのは難しいかもしれません。
しかし、経営者は「未来を見据えて動く」ことも仕事の一つです。融資などをがむしゃらに最大限に利用して、ご自身の事業を守ってください。一人で考え、動くのが難しいときは、いつでも専門家にお声かけください。